NHK『青春メッセージ』舞台の上で迎えた成人式

うつわとしての私  冨田直史


 NHKから「青春メッセージ」の全国大会への出場が決まったという通知が きたとき,私は本当に自分がこんな偉そうなことを言ってもいいのだろうかと いう思いがした。スピーチの原稿は震災のボランティアに加わった経験をもと に書いたものだったが,真面目にボランティアをしている人に申し訳ないよう な気がした。活動に参加したとは言うものの,手がかかる割に大したことは何 もしていない。それだけに肩身の狭い思い出で場を引き受けることになった。 唯一私が舞台でスピーチすることによって,意義がありそうに思えたことは, 震災から一周年をむかえ,意識が薄れつつある被災地の外の人に向けて震災の ことをもう一度再確認する一つのきっかけとなればということだった。

 一月十五日。私は成人式を迎えた。それも,三千人の聴衆を前にしたNHK ホールの舞台の上で・・・。私にとっての成人式はホールに集まった三千人の 人々とテレビを通し見ている全国の無数の人々一人ひとりの心に何を訴えかけ るか,ということだった。私は自分の若い熱い思いをどれだけ多くの人々に伝 えられるかは自分のスピーチに臨む態度一つにかかっているのだぞ,と自分に 言い聞かせた。

 舞台袖でディレクターが,待っていた私の肩を軽く二度叩いた。それが舞台 に出るという合図なのだった。はやる胸を鎮めて広い舞台に出ていくと縁談の 上に立った。頭上からはいく筋ものスポットライトが照りつけていた。私は一 度,ホールの正面を真っ直ぐ見た。ホールを埋め尽くす三千人の人々がそこに はいる。しーんと張り詰めた空気と人々の目と,目。それらを一瞬かいま見た その時だった。「ゴーゴー,トミー」という声援がホール全体に響き渡った。

 紛れもなく,ボランティアの仲間たちからの声援だった。見ると観客席の中 央に「震災から一年」という垂れ幕とともに仲間の姿がはっきりと見えた。一 瞬のうちに,親しい仲間たち一人ひとりの顔が浮かんでは消えた。声援は何度 かあって,仲間たちの声は何の隔たりもなく,真っ直ぐ私の胸の中に入ってき た。ちょうど,閉め切った窓を開け放って,直に日差しを受けたときのあの爽 快な暖かさのように,全身を通して仲間の暖かい声援を受けて止めた。

 私はみんなの愛を受けた「うつわ」だった。今,その受けるだけのうつわか ら溢れんばかりの多くの暖かい愛が縁を伝って流れようとしていた。うつわと しての私にできることはただ受けることだけ。それ以外のことは,できないし, 無理にしようとすべきではないと思う。なぜなら,神様がたった一つ私に与え られたものがあるとすれば,それはみんなの愛を受けて,形を変えることも拒 否することもなく,ただじっと受け止めること。それはちょうど,野に咲いた 一輪の花が,根を下ろしたその場所でじっと動かずに,天から与えられるまま に恵みの陽射しと雨を受けて花を開くように,私もみんなの愛を与えられるま まに,許された場所でじっと素直に受けていようと思った。私だけが何をしよ うと思ってみても,私は誰かの愛を受けなければ,自分では花を咲くことも, 実をつけることもなく枯れてしまうだろう。人は自分ひとりで何かをしている ように見えても,それぞれがみんな愛を受けるうつわだ。自分が成しえたかに 思える,人にたいする善意とか愛の姿勢も,実は誰かからもらった愛を分けて あげているだけなのかも知れない。あの人からもらった愛をこの人へ。その愛 を受けた人が,またほかの人に受けた愛をあげる。そうやって,みんなが暖か くなれる。そういうものが本当の愛というものなんだ。

 私は仲間たちの愛を受けて,自分の熱い思いを多くの人々に聞いてもらうこ とができた。そして,私のスピーチを聞いて少しでも心を動かしてくれた人々 がいるとすれば,それは私ひとりが成しえたことではないはず。私はただ,う つわとしてみんなから溢れんばかりの愛を受け,スピーチを通して,受けた愛 を多くの人たちに伝えただけ。私のスピーチで多くの人々の胸を打ったものが あるのなら,それは,「あのひとからこのことへ」巡り回って,受けて与えら れた愛の力に違いない。

松ぼっくりの園「ふれあいニュース」より

スピーチの原稿はこちら(「胎動」より)


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