あじさい通信


第1号
FIWCキャンパー通信
編集・発行 青山哲也,青木麻里

はじめに

 1996年の声が聞こえたと共に,FIWC関西委員会を受け入れて下さった大倭紫陽花邑の矢追日聖氏が亡くなられ,らい予防法の廃案と一つの時代,活動の節目を迎えました。
 韓国キャンプ,神戸キャンプなどワークキャンプは続いていますがキャンプの多様化とともにキャンプの間の参加者の交流があまりよく行われていません。  また毎月発行するFIWC関西委員会定例会報告だけでは伝えきれない部分が多くありました。
 この度「あじさい通信」を発行するにあたって,各キャンプの報告や反省だけに終わらない次のキャンプの創造へむけて進んでいける通信にしていきたいと考えています。また各キャンプ参加者を対象とした「うちわ」の通信ではなく,キャンプに実際に参加できないキャンパーたちにも一つの参加のかたちとして利用していただければと考えています。

 どうぞ,よろしくお願いします。


 第一号を飾っていただくのは近藤宏一さんです。27年前にFIWCの主催で公演していただいた長島愛生園の「青い鳥楽団」のメンバーの方です。
 らい予防法を一人のハンセン氏病快復者としてどう受け止め,これからどう生きようとしているのかを語っていただいています。近藤さんの言葉にはあとに残るものへどうしても託しておきたい思いというものが感じられます。らい予防法が廃止になっても,差別を許した社会の問題は私たちひとりひとりが解決していく問題だと思います。近藤さんの「社会らい」はまだ残っているという言葉を心に刻まなくてはと思います。(青山)

 近藤さんとのやり取り−−青木。テープ起こし−−青山,青木。


 交流の家の青木麻里様,こんにちは。愛生園の近藤です。
 お便りしましたように,今日,同封でテープをお送りします。お聞き下さい。
 いつも私のために,キャンプの状況をパンフレットによって,色々とお知らせ下さってありがとうございます。
 震災を受けた人々,韓国の病友達などに,本当に精一杯活動されているご様子,感動をもって,いるも聞かせていただいています。
 今日,この声の便りをお送りするのは,同封してありますテープを,ちょっと紹介したいからと思ったからです。

 この10分テープのA面には,豊田さんの,友人の豊田さん,近いうちにCDを発行される豊田さんの作詞で,私が作曲したものを含んであります。これは前に有線で放送されたものです。どうかお聞き下さい。B面には私が作詞・作曲した「鶴島哀歌」という歌です。復生病院の大川まさたかさんが唄ってくれています。復生病院,ご存じですね。富士の裾野にあります我が国で最も古いハンセン病療養所です。そこに彼がいまして,てても唄がうまいので,私がいつも歌を唄ってもらっている訳です。

 で,この「鶴島哀歌」というのは,ちょっと申し上げますと,この歌は,今から27年前,大阪の府立厚生会館,今は青少年会館といいますか,いいますけれども,そこで演奏会をさせていただいた,国際フレンズ労働キャンプ関西委員会主催「らいを聞く夕べ」というのでした。

 で,鶴見先生がご講演なさって,私達が演奏会を開いたのですが,その演奏会のプログラムの一つに,この「鶴島哀歌」をいれてやったものです。ですがら古〜い作品です。でも是非聴いていただきたいと思って,吹き込んでみました。

 で,鶴島という島は,この長島愛生園のある長島から東の方へ十数km,ひなせ町という古い漁業の町の沖合にある,ひなせ郡と14コの島によって成り立っていますが,そのうちの一つの島です。

 周囲2km,お椀をふせたような島ですが,この島に実は,明治政府は明治維新を成功させて,明治政府が成立して,そしてその国是として祭政一致,祭政の祭は神道ですね。宗教の神道と政治とを一つにして政治をやろうという,こういう国是をたてたのですね。従って,異教徒であるところのキリシタンを弾圧したのですね。長崎,浦上ほうめんから大勢の人々を全国各藩に預けたのです。岡山には120名の人々が送られてきて,そしてこの鶴島に幽閉し,厳しい労働,貧しい待遇・・・それでその信仰を転ばせようとしたのです。転ぶというのは,信仰を捨てさせるということです。で,その悲劇,そういう歴史をテーマにして作曲してみました。この島には,十数名の人々の墓標が今も粗石,貧しいその墓標で土饅頭のようにして今ものこっていて観光客,信仰をもつ人々の尊敬の的にもなっています。どうか聞いてみて下さい。


 さて,もうニュースでお聞きの通りと思いますが,らい予防法が廃止されました。去る3月27日,衆議院本会議においてらい予防法廃止に関する法律案というものが可決されたのです。ご存知のように,このらい予防法は,明治40年3月に帝国議会で成立して,今日まで89年間,これはなぜ廃止されたか云うまでもなく,かつてなおらないということを前提にしてできたこのらい予防法,今はらいは完治いたします。自宅療養も可能でありますし,数年を経ずして後遺症を残さないで完治いたします。こうした現実と法律のギャップ,そのことを思いますと当然廃止されるべきものであった訳です。いささか遅れた訳ですけれども。

 しかし,らい予防法が廃止されましても,また,この病気が治る病気,医学的に,臨床的に完治する病気になったといいましても,この病気に対する一般社会の偏見,差別というものは消え去っていません。社会的らいは今も生きているわけです。40年,50年,60年という長い療養生活の歳月は私たちを社会から隔絶し,社会生活の一切の権利,能力を奪い去ってしまいました。そして,私たちは今,このらいによるところの後遺症を養生するために一生をやはりこの療養所で過ごすことになります。

 ま,このようなひとつの出来事のなかにあって,わたし自身が考えますのは,結局,法律的に,社会的に,あるいは政治的にどのような変化があっても,高齢化し,肉体がらいの後遺症によって失明,四肢障害という多重苦を背負っているものにとりましては,結局これから,いや,今もそうですが,じぶん自信がどのようにして生きていくことが本来の人間としての生き方なのか,病で苦しんでいる時も,病が癒されたのちも,そのことがいつも私たちの課題になっていることは変わりありません。

 人間として生きていてよかった,生きがいのある毎日,つまり,納得して生きている,納得して死んでいく,そういう生き方,死に方に問題があるということをじぶん自信に問いかけられているように思えてなりません。これは,理屈ではなしに,事実毎日,国家から衣食住を保証されている,着るものも与えられる,そんな中にあって,はたして人間として,どのようにして生きることがもっとも適当なのか,もっとも正しいのか,意義あることなのか,そういうことの呼びかけ,問いかけがあるということです。

 え,たいへん理屈っぽいお話をしましたが,らい予防法にかかわるひとつの個人的な問題としていまじぶん自信を振り返って,え,悶々としているようなことです。


 いろんなことをお話しましたけれども,青木さん,これからもキャンプのために,そしてご自身のためにもどうか活躍してください。懐かしい,あの27年前,『らいを聞く夕べ』という演奏会,青い鳥楽団を導いて下さった当時のキャンプの皆さんがた,あの交流の家の飯河のおじさん,おばさん,そして矢部さん,山上さん,その他大勢のひとびと,今はどうしていらっしゃるのでしょうか,どうかもしお会いすることがございましたら,よろしくお伝えくださるようお願いいたします。こちらはいま桜の花が蕾をしだいにほころばせつつあります。きたる4月9日が長島愛生園の花見ということです。あたたかい春には,この島はいよいよ新緑があふれてくるでしょうし,吹く風も春のさわやかさを増してくるでしょうし,海辺では潮干狩りがさかんに行われるでありましょう。こうした春の訪れと同時に,また私たちの心もまた春めいて,いかに後遺症が厳しくても明るく楽しく元気で過ごしていきたい,このように願っています。どうか青木さん,またお会いできる日がございましたらぜひ来て下さい。それでは豊田さんのCD発売のお知らせと,とりあえず私の手元にある豊田さんの作品を聞いていただくこと,私の鶴島哀歌を聞いていただくという,こういうお便りを差し上げて,お別れしたいと思います。それでは青木さんお元気で。みなさんによろしく。さようなら。


 近藤さんの名前をお聞きになって当時の活動のことを思い出されたかたも多いのではないでしょうか。当時のキャンパーのかた,ぜひぜひ近藤さんに連絡を取ってください。これからもFIWCに係わった人,そうでない人,多くの人々に登場してもらうつもりです,こうご期待。


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