号外
発行日 1995年2月6日
発行者 FIWC関西委員会
編集人 かのう さちあ


目次

長田工業高校の声 (2/4調査)
第一次キャンプ終了
ソウルフラワーユニオンコンサート
第一次キャンプが終了した  青山哲也
かんそう文
毎日新聞H7.2.2朝刊
なぜ ここに来たのかというと −−−− 加納さちあ
I WANNA TAKE A HIGHER.  田中正信


長田工業高校の声 (2/4調査)

*家が倒れ焼失。そこに泥棒が入り,下着が盗まれた。
*家も全焼,仕事にもどりたくとも職場がない。
*職場に行くまでの交通手段がない。
*ともかく住む家が欲しい。(全員),行政に頼る以外に手段がない。
 一刻も早い対応がまたれる。ほとんどの人が仮設住宅の当選待ち。
*もう地震の話はしたくない。思い出したくない。
*夜中に余震の恐怖で目が目覚める
*行政は世論によって動かされるので対応が遅い。
*行政は物質的支援をすればよいと思っている。
*車がある若者はいいが,ない老人,子供は動きようがない。
*暖かいものが欲しい。
 食材はもういらない。しかし足りない時もあり,物資の分配の段階に問題がある。
*何かをしなくてはならないが,何もできないので時の流れに身をまかせている。「なるようにしかならない」とほとんどの人が思っている。
*体調は救急班が来てくれるので問題はない。行き届いている。
*夜は冷える。
*被災者の人は心が緊張したままなので,それをほぐすものが必要。
*疲労とイライラ,これからの不安などから,この状態がつづくと避難所の中で,ささいなことからけんかや対立がおきそうだ。

【目次へ】


第一次キャンプ終了

神戸市立青陽東養護学校(灘区)における第一次キャンプは無事終了 しました。総参加ボランティア数150人(2/6現在)

2/3はまめまき大会。子供達と節分のオニを退治しました。
2/3からは炊き出しがはじまり,避難所のみんなに笑顔がもどり ました。「ただただ暖かいものが食べられてうれしいのひとことに つきる」と言われました。
2/4は演奏会。子供たちと遊ぶボランティア,かのうさちあと 田中正信の歌で,泣き,笑い,避難所にも春がやってきた。

【目次へ】


ソウルフラワーユニオンコンサート

2/10金 青陽東養護学校にて
午後4時頃から 沖縄,アジアの音楽をベースにみんなおどろう!

【目次へ】


第一次キャンプが終了した。
雲仙の被災地に行ったとき,何もできなかったことが
心に残って離れなかった。
僕がやりたかったのはとにかく被災地にいつづけること。
ただ,それだけはやりとげたかった。
第二次キャンプが始まり,今もキャンパーが
ワークキャンプを続けている。
次に僕がやりたいことは,
地震は何だったのか
人間はなんなのか,
そのことを被災した人々と
考えていきたい。

青山哲也

【目次へ】


かんそう文

ボランティアの方のPowerをひしひしと感じました。
「災害が壊す縁もあるけれど,生み出す縁もある」という言葉を実感します。
いい勉強をさせていただきました。
また被災者の方の力になれるようこれからも協力します。

【目次へ】


毎日新聞H7.2.2朝刊

活動拠点用の場所が欲しい

フレンズ国際労働キャンプ(FIWC 040−843−7379)の加納さちあさん

 韓国のハンセン病回復者定着村でのワークキャンプに参加した若者などが22日 被災地に駆けつけた。神戸市灘区の市立青陽東養護学校の一角で救援活動をしてい る。

 被災住民は1200人おり,仕事は救援物資の運搬,仕分け,食事の配給,健康 チェックなど。奈良の「たんぽぽの家」と連携して,寝たきりの高齢者に移っても らったり,車椅子の高齢者を散歩に連れていったりもしている。

 倒壊した家や学校のへいの片付けも始めた。避難住民が行き先を見つけるまで見 守りたいので,3月頃までは活動を続けていきたい。これまで60人くらいのボラ ンティアが参加してくれ,これからも受け付けていく。そこで,空き地や,ゴルフ 場,寺院など,ボランティア活動の拠点にする場所が近くに提供されると有り難い。

【目次へ】


なぜ ここに来たのかというと −−−− 加納さちあ

 1/17早朝,地震がおこった。名古屋でも大きなゆれを感じた。時間 がたつにつれ,被害の大きさがあきらかになった。友だちは大丈夫かと 心配になり,連絡をとった。連絡はとれず不安になった。村津ゆきみの 妹が亡くなったときいた。村津はまだ韓国にいてお母さん一人でいると きいた。

 1/20とりあえず田中正信,岸田禎憲と歩いて芦屋,長田の友達の ところへたずねていこうと出発した。JR甲子園口からひたすら歩いた。 道路はジェットコースターだった。家をつぶされ,ぼうぜんとしている おばさん,サイレンの音,燃えているのに消防のこない家,幸運にも 芦屋の3人の友達は無事だった。やっとのことで灘に着く 嗅覚をたよりにこの学校をみつけ,めいぼを探した。しかしお母さんの 名はどこにものっていない。よびたしの放送を何度かけても来ない。 どこにいるのか???しかたがない。村津の家にゆくことにした。

 あとかたもなくつぶれていた。妹の名の入ったノートや手紙や遺品が 土にまみれ産卵していた。もってきたお香をたいてぼくらなりに弔った。 それから,近所の人をたずね,やはりあのあの学校にいるのではないか という話を聞いた。もうゆうぐれだった。もし見つからなければ 今日はあきらめて帰ろうと決めていた。

 遺体安置室にお母さんがいた。もってきた物資(ポリタン,食糧,衣類 に毛布)はもう十分足りていて,学校に寄付することにした。

 廊下には被災民があふれかえっていた。手足に頭に包帯をまいている人 が大勢いた。校長先生にお会いし,話を聞いた。ボランティアの手が必要 な事,僕たちにできる事がたくさんあることを知った。避難所内の名簿作 り,物資の仕分け,配達,生活道路の復旧,子供と遊ぶ,避難所内の情報 誌発行,演芸会,壊れた建物の整理等々。

 翌日はFIWC関西の定例会だった。現地を見てきた青山君の話も 会わせてきき,僕たちにできることからとにかくはじめようとこのキャンプ が発足した。

 そこで決まった事

 1 FI関係者の安否情報を集約する
 2 行政の手に届かないところ人手を送る。
 3 これからの余震,火災等で家を失う友達がいたら,交流の家を避難所として使ってもらう。

そして−−−−−−−−−−−−−−あくる日から活動が始まった。

今,2週間がたち,もう一度,原点にたち帰ろうと思っている。

【目次へ】


I WANNA TAKE A HIGHER. (1/22-8/5 '95)

 おれの最近好きなうたはカバーでSAYOKOさんのうたって いる「上を向いて歩こう」で,プロモーションビデオが好きな んだ。

 涙がこぼれないように上を向いて歩こう−−それをフォロー するだけの音楽性が今の日本人にはすでにあると犬友達の近くの 中学生は主張していた。彼女にはスカパラのCDをまだ返してい ない。すまない。

 おれが思うに泣きたい人は沢山いて,神戸にいる人々はそれを 耐え忍びながら日々のつらい暮らしを過ごしている。おれは昔パ ンクで今はただ単に飛ぶのが好きなプーにすぎないが,この灘の 避難所のひとつに2週間滞在して,ちゃらちゃら暮らしながら, (その姿をバカにされたりしながら,田中宇宙人と呼ばれながら ボー田中と呼ばれながら−−自治会の人が言うにはいつ もボーッとしてるからだそうだ)でありながらも,次第にリラッ クスし,起きる時間が正午に近くなっていった。

 お前,何しに来たん?

 ここ(青陽東養護学校)で,このような内容のことを幾度も言 われた。いちいち痛かった。おれがどこにいても,普段通りのふ るまいをすることは間違いないからだ。

 お前,何しに来たん?

 自分からも他人からも,おれはそう問われ続けた。FIWCの 夜の会議で,おれは自分の幼児性に気づいた。自分は天使で,彼 女や彼や坊やを,見知らぬところで守ってやり,笑顔がとりもど される日があれば,空気の中で次第にうすれていくような,そん なイメージを描いていたんだ。それは自分に対して。ひどいナル シストだよな。それに,それを同じ働くボランティアのメンバー に要求するというのは,うっとうしくいやらしい。でもおれは要 求しようとしていた。

 そしておれ自身はそのようにした。子供に顔をひっぱられても, 前日の加納くんとのいざこざのせいで自治会の人たちにいじめら れても,おれのやろうとすることがことごとくつぶされても,お れは天使だったから,天使であろうと思ったから,平気だった。  それはおれにとっては新しい発見だった。おれは天使のふりを することができる。期間限定で。その姿はおれがふだん見る隣人 たちの姿によくにている。上を向いて歩くあの人たちに。

BY 田中正信

【目次へ】

【次号へ】
【前号へ】


胎動のホームページへ

FIWCのホームページへ