
発行日 1995年3月10日(金)大安
発行者 FIWC 情報班
現地連絡先 TEL 030-843-7410
後方支援連絡先 〒631 奈良県奈良市大倭町2-33 交流の家
TEL 0742-44-0766
FAX 0742-41-2251
阪神大震災救援キャンプ現況報告
地域の人の声
コミッティー報告
足湯版地域の人の声
東京報告会の感想
私の得たもの 小島 顕子
また会うために 柴野 妙
神戸の町からパソコンで 高崎 真介
現実から目を背けるな! Chata
被災地各地で話し合いの場所を作ろう 西村和久
・・・そして“神戸復興キャンプ”へ
神戸復興キャンプ参加要項
あかりをその手に
*活動は避難所となっている青陽東養護学校に寝泊まりし,そこに避難している被災者の生活を支援することからスタートしました。物資・食料の搬出入の配給や,炊き出しをはじめとし,校内の高齢者や体の弱い人達のお世話,足湯マッサージ,トイレ掃除にゴミ処理をし,毎日壁新聞 “新芽”を発行してきました。
*震災から1ヶ月あまりが経過し校内の被災者の生活も落ち着いてきた2月中旬,私たちは生活の場を学校内から近くの教会に移しました。日常的な物資,食料の搬出入のお手伝いからは手を引いて住民の自治と自立に任せる形を取っていくためです。
*生活の場を教会へ移したと同時に近隣地域の在宅の人達の調査,足湯,肩もみマッサージの出前,ケアを必要とする人達への情報提供,パソコン通信などを始めました。現在は青陽東養護学校や地域の人達への様々な支援を続けると共に防塵マスクやマスクの着用を呼びかけるビラを配ったり,自警団による夜回りを始めています。また灘区や長田・中央区の他のボランティア団体と連絡を取り,ボランティア同士のネットワーク作りにも積極的に関わっています。
*現在活動にあたっているメンバーはほぼ学生で学校の始まる4月には多くのメンバーが神戸を去っていくことになります。そのため,今までボランティアがしてきた活動を住民に引き継ぐ必要があります。具体的には,今まで私たちがやってきた足湯を住民や地域ボランティアの人で,やってもらうために足湯のノウハウを講習したり,物資や食事班がノウハウをマニュアル化し自治会に渡す等3月11日のキャンプ終了の日に向けて準備を始めています。
*震災から約2ヶ月がたち,生活も当時と比べるとずいぶん良くなり,ボランティアに頼らなくても何とかやっていける。
*今後ボランティアの活動と同じようにやっていけるか不安。*子供の遊び場がなく,一つ先の駅まで行っている。
*子供の通学路や遊び場所ががれきなどで危険なので早く復旧して欲しい。
*今まで遠くへ避難していて昨日戻って,来たばかりで,仕事をしたいが子供がいるのでできない。保育所へ電話したが満員や締め切りという理由で預ける事ができず,今も保育所を探している。
*赤ちゃんの衣類が不足し,近くにあった店で近所の人は皆買っていたが店がいつ開くか分からないので売っている店を探している。
*お年寄りでも身体が強い人が多い。自分の近所は皆元気であるが,息子さんに引き取ってもらったり,避難所にはいるかして,近所にはいなくなった。
*建物の中でみんなで助け合ってやっていたので,今のところ困っていることはあまりない。
*母が風邪を引いて,風呂に入れないので,足湯を頼みたい。
*ラーメン屋を営んでいたおばあさんは,おじいさんと2人暮らしで,家は無事であったが,店が全壊してしまい,年金しか収入源がない。
*義援金がもらえるという事で,区役所の相談窓口へ行ったがもらえなかった。このような曖昧で誤解を招く情報を改善して欲しい。
*震災直後に電気製品を処分してしまったが,今思えば自分より厳しい環境にある方々に,提供してあげれば良かった。
*土砂を捨てる場所は,朝9:00〜夕方4:00の間解放し,土砂を運ぶ車が100台ぐらいの列を作っている。土砂捨て場を一日中解放して欲しい。1日2回しか運んでいないので作業の敏速かを考えて欲しい。
*マスクをボランティアに替わって婦人会で配りましょうかという声が挙がっている。
*今まで食パン1枚しか避難所からもらっていない。
*家が無事だったので今は避難所から家に戻ったが,今一番足りないのはお金。
*ボランティアの人には感謝しているが,余り深くまで介入しない方がいい。
*避難所ではいい大人がぶらぶらしていて,ただだからといって頼り切っているし,この様子はおかしいのではないか。
*避難所に行っても避難所の人が優先で何ももらえない。電気やガスも止まっているのに洗濯機や弁当も避難所の人が優先で,家に戻った人より避難所の人がいい生活をしている。
*家の一階が,壊れて傾いているので盗みにはいられ,3回も警察を呼んでいるが,警察が来るのに20分もかかってしまう。(まとめ:高浜 孝次)
活動報告:総リーダーとして考えていたことは次の3つだった次のリーダーとなる人材を見つける。次の拠点となる場を提供する。そして今後の方向性を見つける。この3点である。自分がリーダーをしている時期にキャンプを終わらせたくないというのが本音だが,一つのけじめも必要だと思う。避難所への住民自治への,移行も一段落着いた今,未だ今後我々独自の具体的な活動を見いだせてはいない。雰囲気はよいが,修学旅行的なノリになってきていると思う。ここで一度打ち切り,切実な問題意識を持った人が集まって新しい形のキャンプを募ることが1番ベストな方法ではないだろうか。幸いにもすでにそのような形で次なるキャンプは進んでいる。僕自身リーダーとして何ができたのかははっきり言って分からないが,各キャンパーを通じて教えられ,助けられた。このキャンプで考え悩み抜いた経験はきっと僕の財産となるだろう。ありがとう。(神田寛)
私個人としては,各コミッティーがスムースに活動できるように人を振り分けることとコミッティー間が連携して活動できるように橋渡しすることを中心にしていくつもりでした。だけど結局,事務担当の仕事以外の雑用が多すぎて,手が回りませんでした。後かたづけ,備品や仕事に必要な情報,伝達事項の把握もボランティア活動になくてはならないことだと一人一人にもっと強く自覚して欲しかったです。キャンプの流れにメリハリをつけるとか,新人さんが早くとけ込めるように面倒を見てあげるとか,ミーティングを盛り上げるなど,キャンプ全体にしてあげることはまだまだ沢山あったのに・・・と少し心残りです。「今まで育ててくれた神戸に恩返しをしたい」と思って入れてもらったけど,得たものの方が多かったです。みんな本当にありがとう。(楢崎真理)
・一人暮らしの89才のおばあちゃんの場合
今野としになるまで一人で暮らしてて,親戚の家に避難していたけど,「毎日毎日自宅に逃げて戻りたいわー」と思っていた。泣きながら甥に自宅に送ってもらった。
・「代替バスを待つ人の列が家の前に並び,見られているようで嫌やわー。いらん神経使うわ。」
・「全壊した隣の家をとって信じられんわー。」
・「地震直後は避難所にいたが,眠れずすぐ自宅に戻った。老人はあんな所にはいられない。」
2月25日土曜の昼下がり,新宿で阪神大震災救援キャンプの報告会が行われた。部屋の壁には青山君の撮った写真や,キャンプ中に作られた壁新聞などが張られ現地の雰囲気が伝えられた。
地震の後“とにかく神戸に行きたい”と思い続けていた。何が自分にそう思わせるのか不思議なくらいだった。今度の地震が特別なわけではなく,奥尻も雲仙も八戸も・・・今でも大変なところは沢山あるけれど,今までは結局他人事と思っていたのだと思う。新聞やらテレビやらから状況を知り,「わー大変だな。」「困っているんだろうな。」「あの人達はどうなるんだろう?」とその瞬間は思うけれど,心を砕くなんてしてなかった。今回は「あの人はどうしているのだろう・・・」と具体的な人が思い浮かんで,気持ちが揺り動かされた。
けれど,私は何もしていない。もどかしくて・・・とにかくキャンプに参加しようと半ば脅迫的に思いかけていたときの報告会だった。集まった人の中で「労働をするといってもこの年ではそう大したことはできないし・・・お金を出すといったって,そんなにたくさんのお金を出せるわけではないし・・・私はあの人はあれが好きだったなとか,これが必要かなと思うものを小さい小包にして送っているくらいです。」と話される人がいて,私は肩の力が抜けるような気がします。
また現地にいくことばかり考えていて,回りが見えなくなっていた。行政の面からの話などを聞いてすーっと足下を救われるような思いがしました今回の報告会に参加して,“FIWCはいい加減さを根本に持っている・・・”本当にそうだ。力んでいない人が沢山いた。
この10日間,いろいろなことを考えてきた。ボランティアという活動について,どう頑張っても自己満足の域をでないのではないかという不安。私の活動は偽善者の行為なのか,と考え続けた。答えの出ない問題はいくつもあった。しかしこれほどまでにふだんの生活を忘れ,思いっきりぶつかって悩み,また行動することなどあるだろうか。
実質的な効果など,すぐ分かるものではないのだ。10日間のキャンプ参加でそれを求めるのは無理な話である。私のしてきたことは間違いだらけかもしれない。残る問題も山積みだ。けれど,懸命に考えたことは必ず自分の肥やしになるに違いない。確実に私の得たもの,それは悩んだこと,行動したこと,感動したこと,それらすべてを含んだ経験をしたことである。
FIWCのパソコン班として,この神戸で様々な可能性を目の当たりにした。FIWCの中において,各地の避難所において,そしてそれ以外の地球上の地点において・・・
自転車であちこちの避難所をまわり,主恩教会に戻ってくると,私は小学校の頃から趣味でいじっていたコンピュータの技術を総動員する。私がパソコンをいじり始めた10年前に比べると,パソコンと,そしてそれ以上にそれを取り巻く環境は大変化をしている。いつの間にか一つのメディアとして,世の中にある程度認識されるまでに成長している。あのころ思いもしなかった夢物語が今現実になってきている。一つの例は,自分の家にいながら,世界中のコンピュータに情報を発信すること。
私は新しいコンピュータの使われ方を一生懸命追いかけてきた。新しいコンピュータを追いかけるのではなく,あくまでその使われ方を追いかけることが大事だと考えてきた。そのノウハウは私よりももっと長くコンピュータとつきあって来た蒲さんとの協力によって,今新しいジャーナリズムのあり方として,世の中に問いかけ始めることができたと考えている。これは少しもオーバーな表現ではない。活字が発明されて,聖書が出版される。その結果として世の中に大きなうねりが生じていく・・・そんな瞬間を僕は感じている。つまり,この中では誰にでも情報を発信する権利があるのだ。これは革命ではないか?そして今,ここにいるFIWCのメンバーの生の声は世界を駆けめぐろうとしている。
ボランティアとは自発的に何かをすること,だとすれば,パソコンによるネットワーク通信はボランティアという言葉を常に内包している。自発的に情報(広い意味での)を発信する事こそが,ネットワーク通信ならではの「双方向性通信」を生み出す。自発的に情報を発信するということは,自発的に情報と対面するということ,つまり自発的な行動が要求されるということである。私にとって今回このキャンプでのワークは,まさにこれを実証することである。
具体的には,被災地をまわり,様々な情報を仕入れる。それには,やはり現地に足を運ぶのが一番である。この部分はきわめて省略できにくい作業である事がだんだん分かってくる。限られた時間を最大限にいかすため,少しずつでも情報を整理しながら,それでも本質を理解するためのアンテナは常に広げておかなければならない。今回,蒲さんと二人でまわっているので,見る角度に幅ができた。また,蒲さんの書いてくる記事はいつも,新鮮に感じることができた。そして,とりあえず記事にするのであるが,事実を客観的に述べるのではなく,自分の所感やその場の雰囲気をうまく簡潔に文章化できれば理想的。そしてできるだけリアルタイムに発信することが大事である。特に今回のようなケースではなおさらである。それらは誰に編集されるでもなく,不特定多数の目にさらされる。
次に,他の記事にも目を配り,画面上から素早く情報を自分のものにする。経験から,少しでも重要だと思ったことは,すかさずプリントしてもう一度読むと理解力が深まり生きた情報となりやすい。同時にFIWCの他のメンバーの目にもつきやすいよう,掲示したりファイルしたりする。そして次はその情報に対するフォローという作業に入る。ここまでやるともう夜中の3時ということも多かった。
これだけのことをしているだけでも,具体的な効果が上がってきている。FIWCの活動に関連するだけでも,我々の生の声に反応して,たとえば内科の野中辰彦様からはご専門の立場から,京都大学の小高泰様からはご自身の避難所での経験から,それぞれ貴重な意見を聞くことができた。また逆に私の発信した記事がある避難所の回覧板に掲載されるということもあった。
たった数日の内にいろいろなことが起こり,技術的な問題も含めて,私はない知恵を絞り続けている。活動の範囲も広がり,忙しさの中で突如訪れる孤独感にさえ打ち勝つことができればさらに理想に近づけると思う。後継者がいない以上,自分で少なくとも現地でのワークに自己完結を与えるまでは,キャンプアウトできない。残り少ないレモンの汁は,それでも私をここ神戸にとどまらせるには今のところ十分である。
手足とは不便なもので,頭からの命令には従わなくてはならない。ところが我が青陽東では,頭が二つ存在した。「自治会」と「住民」である。自治会とは有志で集まった数人の団体で,実質校内をとりまとめる組織である。
子に人達は全住民をカバーしようとする。そこで生まれた考えが我々が「変な民主主義」と呼ぶ「全員分配れる数が集まらなければ配らない」これである。その結果,大量の物資がため込まれる。しかし,もちろん必要としている人もあればそうでない人もいる。代って住民はこう思う。「放出しろ」 必要なときに配られず時を経てから大量に手渡される物資をどう思うだろう。有効に使おう。そう考える。
それに対して自治会はその物資と同時に,彼らの活動を隠蔽してしまった。人手不足をボランティアの美名に惹かれた奴隷を使って解決した。極端だが 現実である。
言っておくが,物資の搬入,仕分けの作業は「ボランティア活動」ではない。むしろ「大変だなあ」と思ったボランティアの人が住民に手を貸しているのが本当だろう。そこでしなかったからと言って怒られるものではないし,まして「のろい」「何時までにやれ」等言われるものでもない。その上作業しているのがボランティアの人だけ!など言語道断。
住民に手伝うよう頼めば自治会員に「あれくらいあんた達でやれるだろう。やりたくないならやらなくていいよ。」ときたもんだ。あきれてものもいえない。そして住民は当たり前のようにそれを受け止めるのだ。中には何を勘違いしたのか,「撤退するとは何事か!自立など出来るわけないだろう。」と怒鳴り込む人々もいる。炊き出しに「まずい」と文句を言い,好意で(青陽東は避難所指定されていない)借りている学校の設備を使わせろと文句を言い,学校のおもちゃを勝手に捨てる。子供までが「ボランティアだろ」と使いっ走りをさせようとし,礼も言わん。「ジュースを買ってこい!」とはさすがに驚いたが。
代替バスの人の列を見て大変だなと思ったら誰も立って乗ったりしない。次から次へとバスが来るため交通渋滞。主要幹線は,半分くらいバスであふれかえっている。誰にでも必要な物資をもらえるようにする。いいこと?とんでもない。働いてお金があって,家も無事,そんな人がただで食える。ただで消耗品をもらえる。お店はお客が誰もいなくなる。弁当は大量に生ゴミ行き。誰も悪い訳じゃない。そんな問題ばっかりだ。
神戸であふれかえる本当の「救援」と偽りの「救援」の間で潰されてしまった。今一度神戸の枠からはずれて「物」を見つめてもらえないだろうか。食べるより大切なことや楽することより大切な事って何かあったっけ?今の僕らってきっと何かを忘れているんだ。だからこんな事になっちゃうんだ。今自分の意見を言えないのは分からないからなんだ。目の前の生け花がきれいなのかすら解らなくなってしまったんだ。
やっと青陽での活動が終了した。すべての問題を住民に先送りする形になった。事に自信もあるし不満もある。
でもね,ラーメン屋の親父も,たった一人で残された人も,飼い主が替わった犬も,みんな頑張ってた。避難所にいる人も自治会の人もボランティアで入っている人も外の人も内の人も神戸の人も日本中の人達もみんな頑張っていた。
みんながんばれ,神戸がんばれ,僕もがんばれ,
がんばれ,がんばれ。
・結局最後まで取り残されるのは弱ってきている老人やテント生活者ではないだろうか(長田にて)
・復興に向かうにつれて,本当に苦しい思いをしている人が見えなくなってきている。(YMCA)
・仮設住宅にせっかく入居したのに部屋が狭い。配給場所が遠いという理由で仮設住宅を勝手に出ていく人が出てきている。文句を言う人が10人中8人はいる。(三宮,灘)
・人間として最低限の生活がしたい。(長田)
・会社に行けなく,家族を養っていけない。(長田)
・遊ぶ場所がない子供達にストレスが溜まってきている。(長田/YMCA)
・被災地でレイプ事件続出。夜の一人歩きには注意すること。 (長田)
・青陽東の近くをナイフを持って歩き回っている人がいるので注意すること。(灘)
・市役所の再開発計画と地元の人の考えは全く違っている。
・土地を売って集合住宅がどこかに建ったとしても,売った人が必ずそこに入居できる保障がない。(YMCA)
・仮設住宅をここに建てて欲しい。(長田)
だが希望ある話も出てきている。
・おろしね一座といって様々な救援物資を被災者に卸値で分け,自分たちで商売をし,いずれは大きなマーケットにしようという企画がある。(NGO連絡会議)
・「神戸復興に屋台分化を」の神戸にはにはいろいろな屋台があり星が見え,自然があった。そのような神戸にしたいという望みを持っている団体がある。(神戸アカデミー)
どちらも自分の意志さえあれば店を持てるシステムになっているが,前途多難であろう。これからもボランティア・被災者・行政との交流を深めて,一緒に解決していきたい。
*今まで私たちは一番困っている被災者を捜しだし,必要なケアをし,責任を持って引き継いできた。これからもその方針は変わらない。
*今,被災地ではこのような問題が持ち上がっている。
・収入源なし,義援金は複雑な申請の後,10万円もらえたきり。
・仮設住宅があたらない。一方で4月から学校が始まり,追い出しが予測されている。
・物資,食材の配給が減少傾向にある。
・このようなことに一因して治安が悪化している。
*これからのボランティアの仕事は,短絡的な「救済」活動から中長期的な「復興」活動へと移っていく。つまり肉体労働的なお手伝いから,被災者・被災地の実態調査,情報提供及び,全国の支援者への情報提供と支援の受け皿作りへと移っていくものと思われる。
*そこで今までの,第1次〜第4次阪神大震災救援キャンプの経験を生かして,3月17日からはじまる“神戸復興キャンプ”では次のコミッティーを組み立てていきたいと思う。
*今回の震災の規模やボランティアの支援の規模は,私たちには初めて大きな経験の連続でした。これをどう次につなげていけばよいのか,本音を言うと暗中模索の状態です。これからも,皆さんの知恵と力をお借りしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
1 期間 3/17〜4/1
2 現地本部場所 神戸市灘区神ノ木通り4丁目 都賀川公園内 FIWCテント灘区役 所西横
3 交通 JR住吉で乗り換え,北へ徒歩15分,阪神御影駅で乗車
阪急六甲下車南西へ徒歩15分 灘区役所を目印に
4 準備物 寝袋,防寒具,作業着,雨具,懐中電灯
参加費 一週間まで4000円 1週間以上 6000円(保険,通信費,食費)
5 現地本部連絡先 携帯電話 030-843-7410
初めての出会いは がれきの山の中
悲しみの涙に おまえは震えていた
一人で出来ること それは限られている だから
俺達 一緒に 歩いて行こうぜ
くらやみに まぎれこみ ほくそ笑む 奴らがいる
人々は いがみ合い そして傷つけ合う
見えない力が 俺達をひきはなす だから
この手を ぜったい はなしちゃだめさ
☆あかりをその手に みちを照らし出せ
もうだれも 迷わず 進んでいけるように
これからは おれ達も いつも いつも いっしょさ
辛いことも 喜びも みんな わかちあってゆける
かたちあるものに もう まどわされはしない だから
おれたち 心と心をつなごう
☆くり返し
がれきをはねのけて 思い出 掘り起こせば
なにひとつ 残らないだけど おまえに会えた
大きな力が ここから 生まれ出す だから
おれたち 一緒に 歩いて行こうぜ
☆くり返し
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