
阪神復興第3次キャンプまでの現状報告
参加要項
第3次キャンプから第4次キャンプへ
各セクションリーダーからの報告
雑感
神戸復興キャンプに2週間参加して
胎動から怠惰へ
Sing a blues
耕し−−−避難している人の手による運営にむけて
*私たちはFIWC(フレンズ国際ワークキャンプ)というボランティア団体です。1月22日から今日まで灘区の青陽東養護学校を中心に,延べ300人(常時30人)規模のボランティア活動をしてきました。
*物資食料の搬出入・配給・炊き出しに始まり,校内の高齢者や体の弱い人達のお世話,足湯マッサージ,被災者の家の発掘作業,トイレ掃除にゴミ処理,毎日かべ新聞“新芽”の発行,子供達との運動会,他の避難所,(長田工業高校,市役所横の公園他)への支援,ボランティアネットワーク作り ,慰問コンサート,演奏会等を行ってきました。
*現在校内においては,生活が落ち着いてきたこともあり,徐々に日常的な物資・食料の搬出入のお手伝いからは手を引いて,住人の自治と自立に任せる形を取っています。今後,私たちは校内の高齢者や体の弱い人たちのお世話を中心とした活動に移っていく予定です。
*それと平行して,私たちの生活の場も学校から近くの教会へと移しました。今ここを拠点として,近隣地域の住人の人たちの調査,足湯マッサージ,の出前,生活情報の配布,仮設住宅作りの手伝い,パソコン通信,無線を使った支援ネットワーク作りをしています。
*そして長期的展望としては,近隣の小規模民間障害者施設の再建の手伝い,外国人被災者へのケア,パソコンネットによる全国規模の支援体制作り,キャラバン隊による被災地全域への慰問コンサート,救援物資(郵パック)の備蓄基地作りと配給体制作り,私たちの活動拠点作りなどが考えられます。
連絡事項 住所,氏名,TEL,参加期間,紹介者
連絡先 〒631 奈良市大倭町2-33「交流の家」
FIWC関西委員会 TEL/FAX 0742-44-0776
人数は30名前後で活動していますが,人数的にも,ちょうどよく少し少ないぐらいの人数なので,キャンパーのつながりもよく,うまく進んできていると思います。
私自身,このような一番おもしろい時期に参加できることをうれしく思うと同時に楽しんでいます。(2週間後はどうなっているやら)自分の始めた小さなことが驚くような展開になっていることもあります。2次キャンプで「住民と一緒にラジオ体操をしよう」とある女性がいいました。最初は数名のキャンパーの協力を得て始まったのが,次第に多くの住民が参加し始め,拠点を移すにあたり,そういった活動も住民の人が中心になって行われています。助けるつもりが助けられ,個人の力の及ぶ範囲のきわめて小さな力と意外な展開と豊かな結果を生みだしています。
しかし逆によかれと思ってしたことが,避難や文句を言われたり,誤解を受けたりして,自分のしていることが,果たしてボランティアなのかと思い悩んだり,無気力になる人がいるのも事実です。ボランティア自身の心のケアも必要でしょうし,そういった悩みを一人で考えるのではなくどんどんいえるような環境を作りたいと思います。
今後は各自が被災された方のニーズに合わせて,経験を通じてどんなことをすべきか考えることも必要です。各自が切実さを持って問題に取り組みつながりをつけようと自ら働くことで,新しい価値を発見できると思います。
| *足湯とは,足をお湯に漬けてマッサージすることで体も温まり,風邪の予防,疲労回復の効能があります。 |
1件,1件の訪問は,かなり根気がいり,数万世帯に及ぶ膨大なC地区を一定時間内にくまなく調べるのは不可能に近い為,今補はC地区の各避難所に介入する他団体と接触し調整していく。あくまで調査目的は行政の援助のいき渡らない人々のケアであり,単なる在宅調査だけで終わらせることだけは回避せねばならない。また最近親しくなった方々が,教会に遊びに(足湯)来ていただけるようになり,是非とも心を尽くして迎えてあげたい。とても有り難いことですから。(大門 智)
来てから数日間は,非日常的な生活に戸惑い,情報班の活動経験しようとするのに精一杯で,肉体的な疲労があったものの,日々生活は充実感に満ちていた。だが,徐々に神戸の生活に慣れ,情報班として重要な役割を任されるに従って,自主性を重んじられるようになり,自分の目指す方向性を確立しなければならなくなる。そしてその時はじめて僕は,自分がいかに“ボランティア”としての自分の責任と計画性が無かったと気付かされたのだ。明確なビジョンをいい加減な形でしか持てない自分に既述の葛藤が襲う。情報(ネットワーク構想のこと)は,絶対に,もしくは緊急に必要なものではなく,むしろ今後1〜2年先をも見渡す長期的なものである(そうでないのもあるが)。そのため,今すぐ結果が形として表れることは少なく,実際徒労に終わったこともしばしばである。実際問題,僕達の活動(ネットワーク構想に限る)が,被災者の方々に役に立っているか否かを,ここで断定できない。
だが,あくまで“ボランティア”という意が,被災者の役に立つことをするだけでなく“自分ですすんでする”という意味をもつ以上,自主性を最も発揮できるこの仕事は真のボランティアなのではないか。そして自主性と被災者のニーズが一致してこそ初めて,今回の活動は成功だと喜べるのかもしれない。とにかく僕は全力を尽くすのみである。(一色 崇典)
まだこちらに来て4日目。来て早々と事務を加藤さんから引き継ぎ,何とか頑張っています。何かボランティアに行く!というより行かなきゃ。と思ってやってきたものの難しさを痛感しています。私にできることを出来るだけやっていこうと思います。
伊藤裕子
あっと言う間の2週間でした。団体で行動することの難しさ,またその中で自分自身の個性を出していくことの難しさを知りました。それぞれが想うことは一緒なのでしょうが,皆んなと行動を伴にするのは難しく,思うように仕事ができなかった。神戸を背にして帰ってしまうのはとても忍びなく寂しい。神戸は私の人生に大きな影響を与えてくれました。これから,社会福祉の道で生きていく私にとって,この現場で吸収したことは,出会う人々に語って生きたいこと。
橋本裕子
笑顔が一番 裏コミのドン
寺田周二
最後に思うのは「来て良かった」
樫本直美
松本より愛車のGTRに乗って,松本長印市場から野菜を運んできました。市場の人達も快く野菜を提供してくれました。夜通し高速を走りながら,考えることがたくさんあって,神戸への道のりはあっという間でした。神戸の皆さんはまだまだ長い避難所生活が続かれると思います。これから春が来るように,皆さんの生活にも春が来ますように。がんばり!
小林 加代
いろいろ悩んだし,病気もしたけど,やっぱり来て良かった
斎藤美央
本当にいろいろな事が学べました。充実ある一週間でした。
中村美希
私は今日,始めてボランティアを経験した者ですが,改めてボランティアを経験したものですが,改めてボランティアというものが難しいものだと実感させられました。どんな努力をしても被災者の方々の不安を感じとることができず,悩みました。しかし,私なりに考え出したことは,同じ不安を持つ事は出来ませんが,少しでも心の不安を取り除くことができたら,一瞬でも忘れてくれることができたらいいのではないかと思いました。いろいろな事を経験した2週間でしたが,私の人生においては,とても長く深い2週間でした。
横田稚佳子
大変いい勉強になりました。頑張って下さい。
中川 剛
私が神戸に来た時,すでに神戸は単なる緊急事態を脱し,新たな復興の段階を向かえていました。神戸の人を見て感じるのは,全く気落ちしてしまっている人とやる気を出している人とあるという事です。
交通の便の悪さの為人々の交流が閉ざされており,寂しい思いをしている人が多いようです。華やかさだけが追求されてきたように思える神戸の街も,これを期に深みのある重厚な街になっていくと思います。
徳江 恵
水とガスと電気がありがたい
青野 光浩
男は男らしく,女は女らしく
志門
ネットワ−クコミッティはハ−ドでタフな仕事だ。10KM先へ自転車で情報収集など日常茶飯事。仕事に疲れた僕のハ−トを癒してくれるのは食後のあったかいコ−ヒ−だ。特に甘党の僕には砂糖がたっぷり入ったものがベストなのだ。と思ったら砂糖がない!
やっぱり世の中そんなに甘くない。 5点
一色崇典
まるでずっと前から神戸にすんでいたように,神戸の人達,街が大好きになりました。ボランティア活動をしつつも,ボケとつっこみを勉強して帰りたいと思います。そこで一発 秋田はあきた 失礼しました。
神戸へ行こうべ
今こそ俺 本当の勉強をしている。いけると思う所までいってみるよ。
加藤 正俊
父に「俺のかわりに行ってこい」といわれ,不安を感じながらきたボランティアだったけど来て本当によかった。もっと早くくればよかった。
佐藤亮介
いい一週間をありがとうございました。
神奈川 圓田 直子
自分にできる事は限りがありますが,精一杯,行動しようと思います。また,このような場を与えてくれた総リーダーの青山さん,そして,活動を共にしているみなさんに感謝しています。
須崎 弘之
多くの人に会えて嬉しいです。でも大阪に帰ることを考えるととても淋しい。また会いに来ます。ありがとうございました。
大橋 歩
| 追伸 小林加代さんより,神戸で出会った人に,ヒマな時に手紙下さいとのこと 連絡先:399-81長野県南安曇郡 三郷村小倉4741 0263-77-3510 |
地震当日,被害のあまりなかったわたしの地域では,水もガスも出ていたので,あまり大きく考えていなかったので,その日はずっと寝ていた。その寝ていたことが,2日目になって悔やんで悔やんでしょうがなかった。自分の大切な人達の家が,全壊全焼し,寒い避難所にいなければならなく,水も食べ物あまりなく,おにぎりを2人で1個しかもらえなかったというのに。自分は温かい所でおなかいっぱい食べて寝ていたのだから。電話がつながらなかったから,連絡を取れなかったから,という理由で自分を慰めていた。でもNHKのボランティア番組を見ていたら,なぜか涙が止まらなくなってきて,慰めていたことが悔しくて,夜遅かったけど気持ちが押さえられなくなってきて電話をかけた。
学校の近くということで,灘区の避難所の1つに午後から通いボランティアを始めた。自分の友達にできなかったぶん他の誰かに何かをしたい。自己満足かもしれない。でもそれがボランティアだと誰かが言った。わたしは,ボランティアの活動自体より,それに集まった人々から影響を受けた。そこには,日本のいたるところから,幅の広い年令の人がたくさんいて,いろいろな考えを持った人がいたので,学校で教えてくれない世間の広さ,人の暖かさ強さというものを知った。
今まで人から与えられたものをしてきたような気がしていたけれど,ここでは自分でやるべき事を考え自分で実行してきた。だから,一つ一つの行動に責任を持たないといけないから楽しみながらもやりがいがあったので,自分のためになったと思う。この活動を一つのステップとしていきたい。そして長期にわたる活動を,自分の神戸のために,また参加していきたいと考えている。
川村 忍 (ブービー) 高2
俺達は所詮部外者だから、ともすれば仲間うちで盛り上がったり浮ついてふわふわしてしまいがちだ。そんなところには仲間以外は入りずらいだろう。何のためにここに来ているのか。自分達のやっていることが、まわりにどういう影響を与えているのか、常にふり返らなければ。
それと共に、どんどん外に出て全体像をつかみ、明確なビジョンを持つことが必要だ。(これが自己満足、自己美化をふせぎ、限定された愛L'<=^Qから本当のやさしさに向かう道である。
Sing a blues
そう、ブル−スを歌え
どっしりと地をはうリズムで
悲しみをうたえ。
どっしりと地をはうリズムで
Sing a blues
そう、ブル−スをきかせてくれ
涙かれるまで泣いたらきっと
おれたち一緒に歩き出せるだろう。
95.2.25かのうさちあ
1月21日に各部屋の班長さんや自治委員の方に集まってもらい、いままでのFIWCの活動報告と今後の方針について話しました。
ボランティアする人、される人という関係でなく、一緒に働くことによって今ある問題を乗り越え、そこから生まれるあたらしい文化を作りたかった。新しい文化とは助け合いの文化や、この地から新しいボランティアの芽がでることや子供たちがFIWCと関わることでなにかを感じたり、社会に目をむけることなど。
個人のボランティアとしてではなくFIWCという集団としてコミッティを活かした活動をしてきた。
個人的な関係がそれぞれの人たちの間ででき、活動の中で人のあたたかさを感じることも多くありました。
今、避難されている人の多くも働きにでられたりするようになり、一ヶ月経ってここでの生活もひと段落ついたと思われる。
避難所をひとつの家とし、そこに住む人達が自分達の生活を運営自治していくのが理想である。そして、その際各個人の事情を考慮し、必要な助け合いをしていってもらいたい。
FIWCとして今後は生活に関する作業を避難している方に引き継ぎ、私たちの眼を老人や体の不自由な方など、そしてより私たちの活動が必要な人、ものへと移していく。
この一ヶ月にできた信頼関係を裏切らないようこれからも活動していく。
個人的な感想をいうと青陽東に避難している方は、これらの事ができると思いますし、今、その基盤作りをしておかなければ避難している方たちでの運営は難しくなると思います。
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