阪神大震災救援キャンプ広報
第2号
発行日 1995年2月12日
発行者 FIWC関西委員会 川本了造
連絡先 631 奈良県奈良市大倭町2-33交流の家
TEL0742-44-0776(FAX兼用)


目次

第一次キャンプ終了
炊き出し部隊現地へ
阪神大震災救援キャンプ報告会に集まって下さい。
支援委員会の各セクションからの報告
現地報告
現場から出された課題
第3次キャンプをどうするのか
壁新聞より
復興のスピード(加納さちあ)
現地キャンパーから一言
コミティー報告
神戸キャンプを続けて  青山哲也
天災危険担保行事用保険について
情報班では
慰問コンサート発足


第一次キャンプ終了

 引き続き第2次キャンプ始まる。

 1月22日から神戸市灘区の青陽東養護学校で行った第一次キャンプは2月5日終了しました。参加者約150人。引き続き2月5日から2月18日まで同所で第二次キャンプが始まっています。

 第一次キャンプ,青山哲也総リーダーの感想。

  第一次キャンプが終了した。雲仙の被災地に行ったとき,何もできなかったことが心に残って離れなかった。僕がやりたかったのはとにかく被災地に居続けること。ただそれだけはやり遂げたかった。第2次キャンプが始まり今もキャンパーがワークキャンプを続けている。次にやりたいことは,地震は何だったのか,人間は何なのか。そのことを被災した人々と考えていきたい。

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炊き出し部隊現地へ

 被災者の人たちに暖かい物を食べてもらおうと,2月4日に豚汁の炊き出しをしました。OG矢部后代さんの呼びかけで,奈良2名お話会のメンバーを中心に22人が参加。前日には交流の家で材料を切り,当日朝4時よりワゴン車で1200人分の材料をネギ臭いにおいに悩まされながらも神戸へ運ぶ。9時過ぎに電車バスを乗り継いで現地へ着いた22人は手際よく6個の鍋にトック(朝鮮の餅)入りの豚汁を作りました。「ありがとう」といっていっぱいの豚汁を受け取りに来た人々の声や,「おいしかったよ」という感謝の言葉は忘れられません。なお,材料費もカンパしてくれました。現地にはコンロもプロパンガスも鍋も水もあります。材料さえあればいつでも炊き出しはできます。

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阪神大震災救援キャンプ報告会に集まって下さい。
樋口寛美

OB支援の方々に告ぐ。
みなさまは現役の諸君に多大な支援をした。
阪神大震災は今まさに連帯を生み出そうとしている。
栄えあるFIWC精鋭は今日も1000人の人々と共にある。
 しかし・・・・
みなさまもご承知のように行くあてのない人たちでもある。
朝に夕に新しく増える仲間。突然参加を申し込むコールの対応に追われている。
 OB支援の皆様,現地で1ヶ月を過ごした我々の若き仲間の声を聞こうではないか。

要項

とき 1995年2月19日(日)4:00pm−6:00pm
ところ 中山文甫会館「えぬビル」TEL 06-371-8826
    大阪市北区中崎西1-5-22

プログラム
1基調報告  青山哲也 国富のり子
2引き続きパネルディスカッション

行き方
1大阪阪急梅田駅ナビオ阪急より天六方向へ環状線のガードをくぐり左へ50m
2地下鉄谷町線「中崎町」下車,出口より地下道を右へ右手の最初の階段上がり右折50m

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支援委員会の各セクションからの報告

*OBと連絡・調整(樋口) 各世代の名簿作りを進めている。

*キャンパー募集(柳川) NHKにテロップを入れたところ1日に50人の問い合わせがあり,参加者が増大した。参加者はボランティア保険に加入している。

*募金・物品(福田)会計(岩永) 100人以上から180万円以上のカンパが寄せられた。

*現地¥08(青山)延べ200人を越える参加者があった。青陽東養護学校を中心として 長田工業高校と高羽小学校にも数名が参加した。

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現地報告

第2次キャンプから次のような各コミッティーが生まれた。

*情報(加納)他のボランティア団体や他の避難所とのネットワークつくり。
*地域(西尾)周辺の避難所の様子を調べる。
*福祉A(古木)避難所で生活している人の健康や介護全般に対する対応。
*福祉B(山本)身体の不自由な老人の入浴などのケアー。
*食料(須崎)避難所での食事の配給。
*物資(内田)搬入・搬出・在庫の把握。
*生活(鈴木)トイレ掃除,トイレの水くみ。ボランティアの避難所内の生活環境全般に対応
*¥08(戸谷)引っ越しの手伝い,頼まれたことの手伝い。洗濯機の手配。
*新聞(浅野)壁新聞を「新芽」と命名。現在7号まで発刊。
*事務・交渉(中根)他のボランティアとの交渉。

各リーダーはほとんど新しいキャンパーがになっている。

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現場から出された課題

・自治会との話し合いなどに追われリーダー本来の活動ができない。
・各リーダーの引継をどうはかるか。
・キャンパーが多くてコミッティーがうまく機能していない。
・自治会との相互理解が不足している。
・短期参加者は何をしていいのか分からず戸惑っていることがある。
・FIWCの独自性をどう出せばいいのか。
・最初からFIWCの旗を揚げすぎたのではないか。
・ワークキャンプとは何か,ボランティアとは何か,そのことに対する参加者同士の話し合いが必要なのではないか。

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第3次キャンプをどうするのか

 第2次キャンプでは各コミッティーが生まれ,新しい参加者がリーダーとして活躍し始めている。被災者との具体的で個人的な関係も次第に作られ始めている。第1次キャンプから参加しているリーダーの疲れは溜まっているが,ここでキャンプを打ち切ればこの避難所をベースとする被災者の自立が進むと言うよりは,新しいボランティア団体が入ってくるだけである。長期参加したいという申し込みも多く寄せられている。

 ここまで来たのだから,第3次キャンプをして被災者との具体的で個人的な関係を深めながら新しい活動を図ると共に,被災者の自立を支援するプログラムも考えて行きたい。そして青陽東養護学校以外にも活動拠点を探し,もっと自由な発想で活動を継続していきたい。

 ということで,第3次キャンプを2月19日(日)から28日(火)に実施することになりました。

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壁新聞より

現地では被災所内の情報誌としてまた被災者とのコミュニケーションをはかろうと「壁新聞」を発行し,文字どおり壁に貼っています。その一こまより。

余震対策
「この建物は頑丈です。もう一度この前の地震が来ても耐えられます。」(この記事を読んで安心した人が沢山います。)
>生活情報
「灘区救護所ができました。」「自転車貸し出し中」「もうすぐガスコンロが使えます」(ずいぶん役に立つ情報を発信しています)
避難されている方々の声
「野菜,テレビ,お風呂,柔らかいご飯,灘区からの情報が欲しい」「病院に行きたいけれど交通手段が無く時間がかかる」「行政がもっとしっかりして欲しい」(みんな切実な声ばかりです)
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復興のスピード(加納さちあ)

*阪神地区は今めざましく復興している。まるで原始社会から現代社会までをここ数日間で経験しているようなものだ。

*電車が復活したらもうだれも好んで歩きはしない。代替バスの運行機関もどんどん短くなっている。物資の足りないところもここ1・2週間をめどに潤うようになるだろう。

*このようなめまぐるしいスピードの地で私たちに何ができるだろう。どうせいつかはいなくなる私たち。それは初めから無責任な存在であり,それ以上でもそれ以下でもない。

*私たちにできる被災者に必要なこと。それは「道をつけること」だと思う。行政とのパイプ役,被災者と非被災者とのパイプ役であり・・・それを復興のスピードよりも少し早くね。

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現地キャンパーから一言

青陽東養護学校之部

(玉木・・・第2次キャンプ総リーダー) まだ仕事の内容がよく分からないがやれるだけのことをやっていきたい。

(浅野裕子・・・新聞コミッティー) 第一次キャンプの時から,被災者の方々への連絡事項やイベントのお知らせなどを載せた「かべしんぶん」を作り始めました。新聞作りを通して,学校や自治会の方々やここで暮らしていらっしゃる方々といろいろな話をしたり相談を重ねたり,時にはぶつかり合ったりしながら,つながりができ信頼関係が生まれてきました。
「かべしんぶん」は第5号まででき,今「新芽」という新しい新聞を作り始めています。連絡事項やお知らせなどはもちろん,被災者の方々の要望やイベントなどの感想などもどんどん取り入れ,味のある新聞作りをしていきたいと思います。

(中根志保・・・事務) 参加人数の把握や新しい参加者のオリエンテーション,ボランティアの間の連絡調整や被災者の方々からの要望も受けています。細かな仕事もこつこつ頑張りながら,みんなの窓口として広がり,大きく育っていきたいです。

(五十嵐丈人) 友達に誘われてきて,あまり乗り気ではなかった。実際現場に来て最初の頃は何もできず何もしなかったが,後半は自ら仕事を発見し行動して充実感をえることができた。これからも皆さん頑張って下さい。

(俵健) 生産的と思われることは思い切ってどんどん行動してよいと思うし,そういうのが好きだ。

(端山雅昭) 土地土地に地域性というものがあり,訪問者がそこで生活するならば,そのルールに従うべきである。自主的行動とはとてもよいことだが,避難されている住人の方々との信頼関係薄弱では,いろいろな声をまとめて聞くことはとても難しいと実感した。初めは種しゅの問題点をリーダーやFIの責任と思い,批判ばかりしていたが,結局,僕は若造だった。

(桑原幸則) 各分担の活動方針をしっかり把握しておらず,各人の意識のギャップは激しい。FIは40年近い実績があるはずであり,そのノウハウは生かされているのか?

(片岡てつじ) ここで活動するなら自治体の直属は必要であり,情報を無理にリークしようとするのは問題がある。40・50人の人が集まるならしっかりとした組織化が必要。

(石田真理) ここへ来て,自分が自然に優しい気持ちになれることに気付きました。皆もある意味では,楽しみながら活動することが大切であり,決して互いにとがめ合うことだけは避けなくてはならない。また,子供と接して実感するが,子供達もかなりストレスをため込んでいる。

(かのうさちあ) <ボランティアとは何か>
■“FIWC慣習法”はボランティアの神髄を見事言い表している。
■ボランティアとは自発的・主体的活動の総称である。だが今の日本には,真のボランティアはいまだ存在していない。日本のボランティアは,どちらかというと体制的である。真のボランタリズムを確立していくのは困難である。時にはリーダーの命令に背くこともあるだろう。やりたくない仕事を放棄することに,仲間から白い目で見られることもあるだろう。それでもいいのだ。私たちの目指していることは一つなのだから。
■真に対象(被災者一人一人)を見つめ彼らと友達になり,彼らに必要なことを知り,自分にできることを一つ一つ始める。それを仲間に呼びかけ,力を合わせること。そういうボランティア活動を勇気を持って始めるのだ。10年後にこの地からいい友達のネットワークができたらいいと思う。
■FIWCを真のボランティア集団にしていきたい。

長田工業高校の部

(本岡友紀) 体育館の中に入った瞬間,いろいろな人々の日常あるべき姿,音が飛び込んで来て圧倒された。ここではほとんどの,避難されている方々が一つの体育館の中に暮らしている。共同大生活の中でやはり皆落ち着かず,気が立っているようでした。
   そんな生活の中で救いとなったのは子供達の元気な姿。私たちボランティアもできるだけ明るく元気に頑張りました。
 私がここを訪れた頃は,物資の配給,炊き出し等ほとんどの作業を自治会やボランティアのメンバーでやっていました。「これではいけない,こういう時こそ自分たちで頑張らなくては」という自治会の呼びかけで,今では被災者の皆さんも動いて頑張るようになりました。そして私たちボランティアは仕事の引き継ぎを徐々に済ませ,撤退の方向に向かうことになりました。
 ボランティアの仕事は非常に微妙なもので,あくまで皆さんの自立のためのお手伝い,補助にとどめ,そしてどんどんその場から引き上げられることが全体から見た目ではすばらしいことなのだと思います。なかなか難しいことですが,そうやって少しずつ自活して行かれる避難所が増え,そして皆さんが一刻も早く日常の生活に戻れたらいいなと強く思いました。

(酒井千代) 長田区は区役所にボランティアセンターがあって,長田区の情報や,様々な物資などの情報が集まっています。毎日ボランティアの集まりがあって,情報を提供してくれます。そこで仕入れた情報をもとに,長田工業高校にいるボランティアの人が企画して,今度学校の講堂で映画会をすることになりました。
 長田工業高校ではだんだん活気が出てきて,掃除とか物資の運搬とか自発的にやってくれる人が増えてきました。子供達もいろいろ手伝いたがっています。皆パワーがあるのだから,N^W]C(1はそれをいろいろな方向へ導いていけたらいいなと思っています。
 地震によって生活が変わってしまったけれど,それをエネルギーに変えて頑張っていって欲しい。

(大内 智%%%情報班) 加納さん率いる情報班の今後の主要な課題は,灘区もしくは他地域に及んでの“情報”の収集,蓄積,処理の拠点をどう見いだしていくかということにある。現在灘区といわず各地区において人々の生活,物資の配給や医療といった情報は散乱しており,今後の行政,各ボランティア団体のより合理的,集約的運営をはかるためには,これらの情報の管理をとりまとめられる,システムが必要となる。
 加納さん達が提案されているのは,パソコン通信などを使ったネットワーク形成である。長田区はその点で先進的である。長田区役所の一室がボランティアの事務所として解放され,区一帯で活動している,各団体のリーダーのミーティングを連日実施し,情報交換,物資調達,供給を独自の判断でこなし,その行動や手配も迅速である。この背景には巨大な財力と人材を持つ,ボランティアのプロ集団であるピースビート,YMCA,SVA存在や,少々派手目に(というより積極的に)マスコミにアピールすることで,全国の人々に要望を訴えるマスコミ戦略,また各ボランティア団体が1つとなって,結束し,協力しあっているところにある。FIのような小規模集団は,そういう意味で巨大組織の中にうまく仲間入りしてしまうという手もあろう。ピースビートなど長田区にプレハブビルを二件設立し,拠点とすることで,今後も多地域にわたって,活動を拡大していくとのことである。
 現状のところ先は長いので焦らず,FIはFIでまかされた仕事を確実にこなしていくことが第一前提であり,その中でさらに前進できることは率先して各班が活動されたし。

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コミティー報告

ワークコミティー (戸谷今朝登) 活動:ほぼフリーとして仕事している。他のコミティーの手伝いなど。洗濯機の設置。
感想:ミーティングの中でもよく議論の的となるが,内向きの話ばかりではなくもっと被災者のことを考えて何が必要となるのか本音を聞いて各人ができることを考えるべきであり,よりよいボランティアとなるでしょう。

地域コミティー (西尾雄志) 活動:ダスキンの無料洗濯サービスの情報を得た。三宮,中央区,物資が不足している。区役所に届け出されていない避難所がまだまだありそうだ。灘区の情報をとりまとめる組織はあるのか。残り物弁当の配布など。
展望,要望:中央区の情報に詳しい方を探している。他地区で困っている場所,知っている方探している。
*西尾さん率いる地域班は被災地を足でまわり情報収集や物資供給をしている。物資についても食料さえ十分でない避難所はまだまだあるようである。

生活コミティー (鈴木陽子) 朝4階の掃除(流し,階段,手すり,部屋)
トイレの水くみ,消毒(噴霧器),掃除の点検。(今後どのように行っていくか検討中)ゴミ捨て,ゴミ袋の交換。
*水くみ手伝って下さい。
*いつもやってます。

物資コミティー (内田龍城) 活動:靴,耳掻き,痔の薬,綿棒,下着類など基本的な物の他にも,気づかないがまだまだ必要なものはある。避難者名簿作りをしている。
*内田さんは自治会の方々と親しい。

食料コミティー (須崎弘之) 活動:食料配布その準備。メニュー作り。

感想:岸田禎憲  現在500カ所にも及ぶ避難所には,多くの団体,個人のボランティアが活動している。そこでは細かなシステムができているが,それがどこまで機能していいるのか,また物資の行き渡り状況や,避難所からの生の声などの情報を市レベルで吸い上げていくシステムは,まだ確立されていない。
 日々刻々と変わる被災地の状況の中で,構想はキャンプイン時点でなされていたものの即時に動けなかったことから,ネットワークの組織化にどのくらいの期間を経るのかという問題が考えられる。

村澤みゆきさん情報(2月11日)  みゆきさん,お母さんの二人は,仮設住宅入居待ちで,避難所生活を続けている。家の掘り起こしはすすみ後はみゆきさんの風邪の回復を見計らって,もう少し掘り起こしをする。また仮設住宅への入居が決まり次第,引っ越しに人手が必要。
みゆきさんからの情報
 家の掘り起こしによって出てきた自転車(スポーツタイプ)1台を貸し出すので希望者はみゆきさんまで。

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神戸キャンプを続けて  青山哲也

 ここ数日,キャンパーと避難している人たちとの間で個人的つながりが出来始め,キャンパー達の中には,避難している人たちの部屋で寝ている人たちも出始めました。福祉コミッティーでは,体の不自由な人に一人一人30分ほどの時間をかけて足湯やマッサージをしました。ゆっくりゆっくり,避難している人たちと呼吸を合わして,マッサージしていました。避難している人たちは地震発生時の話や,現在の心の緊張,人にも語れないことがあるということ,心の中のそれらの断片を,ぽつりぽつりとはなされていました。足湯が終わった後に参加した人からは,今度いつやるの,また楽しみやね,という言葉が返ってきていました。

 一次キャンプでは,キャンパーが少なく状況も刻一刻と変わり,はじめての環境と問題をまえに,リーダーと2,3のコミッティのリーダーを中心にみんなで目のまえの作業をこなし,それぞれが必要だと思うことをやっていくという毎日でした。

 一次キャンプの終わりから初参加のキャンパーが増え,避難所での生活の把握と共に,二次キャンプでは大幅に組織を作り直しました。現在10のコミッティーを作り,活動しています。けれど,今までも活動していた,キャンパーでコミッティーリーダーになる人がいなく,それらを初参加のリーダーに任しています。初参加のキャンパーには,被災地で何か自分にできることをやっていきたいと思っている人が多く,その一点において活動がなされています。ただ,どうしても短期の参加者が多かったり,初めての参加者が多いために,キャンパーの中には個人的な人とのつながりの中から,参加者一人一人がやるべきこと,やりたいことを見つけて人に呼びかけ,リーダーとなって活動することには戸惑いも多いみたいです。それでも,ラジオ体操を始める人が出てきたり,老人のために洗濯機を集める人が出たり,男手のいない被災した人の,引っ越しを頼まれたり,体の不自由な人をお風呂に入ってもらおうという活動もできていることは,キャンパーと避難している人たちのつながりが少しずつでも生まれてきているのを物語っていると思います。これから必要なことの一つは,参加者が多く,入れ替わりの激しいキャンパー同士の,横のつながりのあるキャンプをどうして作っていけるかであると思います。 

 私たちのするべきことは,社会生活を再開し新しい活動を始めようとしている人たちに一緒に作業し,助け合うことで,避難している人たちを勇気ずけることだと思います。そして,何か一つでも彼らとともに成し遂げることができれば,そこから私たち(キャンパー,避難している人たち)の,他にはない文化が生まれると思います。そしてその文化が生活を築いていく原動力として,この地域の将来の精神史にも大きな意味を残すことができると思います。

 FIWCは個人として避難所には行っているのではないので,何でも屋さん的ボランティアではなく,常に避難している人の自治,自立ということを考えてキャンプを進めていきたいと思います。そのためには避難している人たちの要求と衝突することもあると思いますが,そのやり方は変えられないです。避難している人とキャンパーという分け方ではなく避難している人たちと一緒にキャンプをしていきたい。実際そうしなければ7,]L_は成り立たないと思います。

 今,避難している人たちが必要としているものは沢山あります。それはお風呂であったり,休息,温かいご飯,仮設住宅であったりする。けれど私はそのことを代弁するのではなく,避難している人が閉じこめているその心の叫びを彼ら自身の要求として発せられるように勇気づけ励ますことはできるのではないかと思います。

 今後は,避難している人の心の問題や,在宅の体の不自由な被災者の問題,生活道路の復旧など,行政の手の届かない,私たちだからできるワークキャンプを行うために青陽東養護学校だけでない他の現地本部を作るのも必要だと思います。多人数で青陽東に居続けることは避難している人の自立を考えてもFIWCの今後の活動を考えても改善して行くべきだと思います。FIWCとしてキャンパーを集めてリーダーの引き継ぎが難しいとき,どうキャンプの長期化に対応するのか,FIWCとしてどう責任をとっていくのかは今後も考えていかなければならないと思っています。 

 けれども,初参加のキャンパーの中には人を引っ張っていく魅力のある人たちが沢山いますその人達の行動力と発想力が今後のキャンプの希望でもあると思います。

 そして避難している人たちとの関係を裏切ることのないように今後も活動していきたいと思います。

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天災危険担保行事用保険について

 通常の行事用Nボランティア保険では,地震の際には補償の対象となりませんがこの天災危険担保行事用保険は対象となります。この保険の概要は次の通りです。

1.補償金額は死亡,後遺障害 400万円,入院保険金 日額3000円 ,通院保険金日額 2000円です。対人・対物の保障もあります。
   2.掛け金は2日まで,1428円,7日まで1521円,1ヶ月約2000円と長くかける方が得です。
3.入金手続きをした翌日から有効です。
4.受付は各市町村の社会福祉事務所で行っています。

 FIWCではワークキャンプに参加する人には「天災危険担保行事用保険」に加入するようにしていますが,保険が入金手続きの翌日から有効になりますので,できれば地元の役所役場で加入されればと思います。

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情報班では

今,全避難所の以下の情報を集めていますご協力下さい。

各避難所における
・避難者数,食事配給数。
・食事(炊き出しの有無,食材の調達方法,火の使用が認められているか,メニュー)
・物資(必要なものはないか,下着,おむつ,医薬品はどうか)
・水(配給水の有無)
・トイレ(仮設か水洗か,衛生面はどうか)
・ゴミ(清掃車は来るか,ゴミの分別は,生ゴミ,おむつの処理方法)
・風呂(どこではいるのか,寝たきりの人のための工夫は)
・住環境(暖房の有無,布団は十分か,)
・医療(医者の常駐,介護,介助の有無,カウンセラーは)
・名簿類の整理はどうか%%%etc

寄せられた情報はパソコン通信・マスコミ・ボランティアネットワークへ積極的に流していく予定です。

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慰問コンサート発足

 2月10日午後7時から9時まで青陽東養護学校4階廊下スペースにて,ソウル・フラワー・ユニオンによるコンサートが行われた。普段は激しいロックを中心に活動している彼らも,アコースティックギター,三味線といったものを使い,穏やかな沖縄・アジアの民謡を披露してくれた。当初かのうさちあさんと田中正信さんによる前座が予定されていたが,自治会からの要請で中止された。コンサートでは事前の宣伝不足に加えて,食事時ということで,人が来るかという不安があったが,いざ本番では,廊下を埋め尽くすほど(100人以上)の人を集めた。途中,ソウル・フラワー・ユニオンに加納さちあさんが加わり自作の歌を披露され,コンサートは最高潮に達した。コンサート後何人かの避難者の方から感想をもらったところ,「よかった」「ありがとう」という声ばかりもらえた。中には「時間がなくて聞けなかったけどありがとう」という人もいた。僕はこのとき本当のボランティアを見たような気がした。物質的なケアーに加えた心のケアーのようなものがこれからもっと大切になってくると思う。そのためには,こういった音楽などを通して表現することが一番の方法だ。2月14日,今度は長田の南駒栄公園でコンサートを行うことを決めた。ソウル・フラワー・ユニオンをできる限りJ^/81/L_していきたいと考えている。(情報班 福田邦夫)

 開発の美名のもと,人間(国家)が自然をいじめ続けたツケが最悪の形で跳ね返ってきているような気がします。また,今回の大地震で国家というものがいかに実体のないものなのかもはっきりしました。被災者同士の思い合うつながり,N^W]C(1の人々の暖かい行動に,あるべき人間の実体を見たような気がします。立てかけていた鏡が粉々に割れ,CD等が散乱し,揺れの恐怖を実感として受け止めた我々にとって,阪神地方の人々が置かれている現状は他人事とは思えません。

 「自分の無力に徹してあらゆる手段を使う((c)小田実)」人々の“つながり”をもっと“立体的”なものにしたいと思います。まずは自分にできることから。

          ソウル・フラワー・ユニオン  中川 敬

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